考えごとノート。

日本が多様性に寛容な社会になるために、世界一多様な都市トロントに留学している教育者の卵です。Teacher candidate/ DIversity education/ Canada / Study abroad

自分と違う経験をしてきた人を、果たしてどこまで理解できるんだろう

相手の立場になって考える、自分の偏見を取り除く、って思っているよりずっと難しいことなんだと感じたことがありました。
 
私はいま、ヨーク大学で多様な生徒を対象にした教育について考える授業を取っています。そのコースのクラスメンバー構成はもう、さすがトロントという多様さです。アフリカ系、イスラム系、アジア系、ヨーロッパ系、ラテン系の生徒がごちゃ混ぜになっている他にも、性的マイノリティのクラスメートもいます。
この授業でのゴールの1つは、人種差別や偏見、文化の違いを、どう乗り越えるか、Social justiceを教育者としてどう子供達に「教えて」いくか、を学ぶことです。
*教える、というと知識を与えるだけに聞こえるけど、いつもこの授業で大切にしているのは物事の考え方だったりします。
実践に関する学びやアクティビティ取り扱ってきた他にも、差別という現象の性質も扱いました。力関係の概念を勉強してからは、この世界は今のdominant groupが生きやすいように作られていることを意識するようになりました。揉み消されてしまう声にスポットライトを当てることこそが、包括的な組織づくりに必要不可欠なんですよね。
 
でも人って、簡単に、自分とは違う経験を持つ人の立場に立てるものなのでしょうか?
口では、「相手の立場になって」なんて言うけど、全く違う経験をしてきた他者を理解するってどこまでも難しくないですか。
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前回の授業ではあるプログラムについてクラスで議論をする機会がありました。
それは2008年、ある生徒が学校内で銃殺された事件を機に、SRO (School Resorce Officer Program)という警察が学校内に立ち入り巡回するプログラムをトロント市内の学校に導入した件についてです。主に高校がメインターゲット。その件について、設立からおよそ10年が経った今、結果としてこの制度はアフリカ系カナダ人・先住民が住む地域を中心に設けられているそうです。
 
学校と刑務所のパイプラインがいち早く出来てしまうこの状況が、特定の地域に多く導入されていることは、この仕組み自体が人種差別的だと考えられます。
このシステムだけ見たら「アフリカ系、先住民は危ない」という世間への暗示とも捉えられかねないからです。
加えて、警察という権力が学校のパワーバランスを崩していることも指摘要素。警察が学校に介入することで「安全」を確保する事が目的なはずなのに、実際子供達は学校内の警察の存在に不安を抱えたり、落ち着かないという声があります。
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このシステムを導入した時は、子供が学校で殺害されるという事件の後だったから、真剣に何か対応を考えなければいけなかったこともあり、警察の介入も理解できなくはありません。
でも、その措置をトロント地区の全学校にではなく、アフリカ系や先住民が多く住む地域に特化して置いているのは、差別的な行動と捉えられかねません。
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世界でもっとも多文化政策が成功し、人々が共存し合うと言われるカナダでさえまだ、差別的なものの見方は存在することを知ってしまいました。信念や信仰の自由は勿論保証されているけれども、それが特定の人種を懲らしめる思考や、不平等に扱うことであってはならないはずなのに。
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授業内ではSROの議論から差別問題に話が発展して、ムスリムの女の子や白人の男の子、カリビアンの男の子等、自分のバックグラウンドを守るかのように皆が意見を言い合い始めて、クラスが本当にピリピリしていました。
その時に最も心を打たれたのは、カナダの社会で差別も偏見もほとんど経験しないマジョリティとして生きてきたヨーロッパ系のカナダ人学生が涙しながら言っていたこと。
「わたしは目の前の生徒に愛を持って接したい。」「人種でくくる前に一人の子供として接していきたい」
議論は結局授業内に終わらないだけでなく、皆いろんな感情が溢れて皆疲れが隠せない様子が見て取れたけど、最後には多くの学生が自分のバイアスを壊すことを訴えかけていました。
 
言いづらい意見でも、自分の胸の奥底に封印していたようなトラウマ的な感情も、自分の意見、一つの真実として全体に投げかけるクラスメートの姿勢は、胸に響きました。
加えて、授業の翌日、教授から自分と違う経験をして育ってきた人を理解する方法や自分が不安に感じることにどう対処していくか、もっと教育者としてプロフェッショナルな方法を考えていこうというディスカッションに関するフォローアップのメールも来ました。ビデオクリップも添付されていて、この経験を学びへつなげる支援にもありがたく感じています。
 
ここまで、深い感情を持って考えたからには、「あ〜相手の立場に立つって難しいよねえ」で、終わりたくないんです。
Anti-biasな考え方への具体的なアクションプランを調べることが自分の次の授業までの課題です。(教員としても然り、子供に提供できるもの然り。)