考えごとノート。

日本が多様性に寛容な社会になるために、世界一多様な都市トロントに留学している教育者の卵です。Teacher candidate/ DIversity education/ Canada / Study abroad

生徒中心な学校のあり方

ちょっと前に書いてた下書きをやっと投稿。

 

“Student center classrooms” 

教師の都合の良いように子供が動くんじゃなくて、子供主体で学びが展開される学校づくりの事を指すのかな、との理解でいます。

 

例えばカリキュラムに沿って教えるvs子供の興味に寄り添って教えるを考えるとします。

 

後者はカリキュラムを無視すると言うわけではなくて、その年その時期の子供の興味に合わせて教材を教科書に限らず拾ってきたり、アクティビティを変えてみたりできるじゃないかということ。その学びには子供の好奇心が中心にあるからこそ、学びを押し付けるんじゃなくて、引き出すことが可能になる。

 

この前ICT(Information and Communication Technology)教材の導入のインパクトについて友達と話していました。

私はICTには賛成派で、紙(資源)削減、手書きの時間削減、オンライン上データ共有による作業効率化の点において大きなメリットになるんじゃないかと伝えてみました。日本の教育現場ではなかなかパソコンが出てこないし、アプリやソフトウェアを使って授業している事はあまり見たことがないから、上手く回れば教師の負担は相当減らせるよなと。カナダでは小学生がGoogle DocやSlide機能を使って先生や周りの生徒と作業を進めているのをみてきてたから実現可能性やその効果も踏まえて現実的だと思うし。担任の先生もこの部分が教員の仕事の負担軽減に大きく買ってると話してくれました。

 

でも電話で話してくれた友達は、それって教師の都合の良いようにシステム化してるだけじゃないの?って、意見でした。

ICTの導入が分野に問わず世界的に加速してきている分、テクノロジーが使える=進んでいる、だと勝手に置き換えていたけど、それによって失われる何かがある点についてはすっかり無視していたかもしれないです。

彼曰く、先生の手書きのフィードバックが好きやと。ああ、俺の工夫したところとか気付いてくれてる、見てくれたんだなあとか。先生の書いた字から感じることもあるらしい。要するに温かみということなのでしょうか。それは確かにデジタルだと感じにくい点かもしれないです。

 

その人が話してくれたのは「教える」立ち位置よりも「一緒に学ぼうぜ!」が良いということ。子供がつまづいたり分かんない箇所があったら先生も分からないから一緒に調べてみよう、勉強してみよう、という関係性でいたいらしい。(生徒中心な学校作りってこういう先生が作り出すんやろうなあ。)

だからICT教材に移行することは教師の都合だけで考えてないかな?という疑問だったんだと思う。子供の声はどうなんやと。

 

誰が言ってくれたのか忘れてしまったけど、教師は子供がいなかったら教師になれないって言葉を思い出した。(五島先生かな?)

目の前の子供の意見を、子供の目線に立って引き出すこと、エンパワメントすること。その原則だけは心に留めておきながら、ICTの導入が進んだら嬉しいなと思います。(少なくとも、教員同士のやりとり、ペーパーワークはIT化がもっと進んでも良いと思う。)

 

 

 

*たまに自分が一方の見方にバイアスがかかり始める時があるけどこういう時話せる相手がいると違う視点からもう一度客観視出来て助かってる。自分がどんなに正しいと信じていることでも、違う考えを持つ人の意見に心から耳を傾け続けていたい。