考えごとノート。

日本が多様性に寛容な社会になるために、世界一多様な都市トロントに留学している教育者の卵です。Teacher candidate/ DIversity education/ Canada / Study abroad

話さなきゃだめだ

 

異文化理解とか、どうやって教えてるんだろうって凄く気になってた。でもそれはカナダの学校では生活の全部に散りばめられていて、小学5、6年生の子供達も他者を尊重することの大切さを肌で感じながら生きているんだと思う。

 

詩からカナダ人であることとは何かを考えるとともに、そこに掻き消されている声は何かを批判的に見たりとか。(この詩の視点って白人系だけじゃないか。カナダは白人だけの物ではないよ。とか)

自分の親、おじいちゃんおばあちゃん世代の戸籍から先住民系の差別を見つけて、移民や多文化政策について考えたり。

1800年代から歴史的に各人種に向けられていた制度的差別を調べたり。(これはCanada150を迎える前の去年、4ヶ月かけてプロジェクトとして調べ物をしたそうな。)

子供達はそうやって、自分の親や家族と今のカナダを繋げて、多文化社会カナダで生きる意味、「カナダ人である意味」について真剣に考えてた。

 

小学生の時からこれだけ考えていれば、差別や文化的公平さという観点に敏感になれるのも納得。

今日のGlobal citizen に関する議論でも「違う文化を尊重し、お互いに学び合う。」それが子供達の口から出てきて、思わず鳥肌が立った。

 

違いに寛容に生きるって時にはセンシティブな話もある。文化だけじゃなくて、発達障害も含めての話。

誰がADHDだとか、誰が先住民系だとか。私だったら、教師として子供の特徴や必要な支援を子供やその保護者と確認し合うけれども、それをクラスのみんなに適切な形で伝えられるだろうか。

そう。びっくりしたのは、どんな話題でも先生がそれを隠してしまうのではなくて、クラスに議題として持ち上げてたこと。議論を醸すようなトピックこそ、子供達に投げかけてみる。子供達に一緒に考えてもらう。意外と小学生でも、こういう事って伝わっている。

だから、伝え方は考える必要があるけど、話していいんだ。むしろ子供達に話さないとだめだって思ったのでした。