届きそうで届いてないのが悔しい
自分の大切な人が極限まで悩みに悩んでいて、生きることさえも諦めてしまいそうだったら。そんなこと考えたこともなかった、これが現実になるまでは。
その人はいつもと何も変わらない態度で毎日を過ごしていました。
ー授業はちょっと遅刻。
ー親に怒られるのは日常茶飯事。
ーだからよく私はチョコレートを持って会いに行きます。元気出しての気持ちを込めて。
シグナルになりそうなものはなかった。でもそれは私が見逃していただけなのかもしれない。そんな中、その人は自分の命を絶とうとしていました。本当にアクションに起こそうとしていました。
確かに気圧で体調が優れなかったり精神的に不安定になることが多い子だけれども、知識があって、しっかりしていて、誰かの役に立つことが喜びになるタイプの性格。
でもそういう人こそ、周りを心配させない為に無理して笑ってたりすることに気付きました。事が起こるまで、あまりにも自然に生まれるその作り笑顔を見破れなかった。
「死にはしない」なんて勝手な思い込みをしていたけど、その人は毎日起きる度にまた新しい今日が来たことを嘆いて、自分の意思ではベットから出られないことが続いていました。
(遅刻しちゃうからとモーニングコールは頼まれていたけど、本当に自分のためには起きたことがない。誰かが困るとかそういうシチュエーションじゃないと起きれない。)
自分の命が絶とうとしたことを告白された時、正直本当にどうしていいかわからなかった。
今も、それを告白されてから接し方を変えるのはどうかと思って、普段通り接してる。今日も一緒にチョコを食べました。
お医者さんのところにも通っているし、大丈夫だと思いたいけど、それでもその人を一人にした時が心配になります。生きる楽しさや意味や価値を強く見出して欲しい。私にできることは何なんだろう。